世界のトイレ事情 

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日本の特殊事情

 ことトイレに関しては、日本もあまり自慢の出来るものではない。日本では江戸以降人糞は貴重な肥料として用いられてきた。肥料として広く用いられた。昭和の40年代頃までは、当然のことで畑の野菜などの肥料として重要であった。また、養魚場の池に飼っていた鯉やウナギなどの食料として人糞をたべさせていた。
 国宝京都東寺の東司(とうす)は公衆便所の汲み取り式(自然吸収式)便所は、長屋の中の一番奥まったところにあり、この時代の扉は上部解放式で完全密閉式ではなかった。いわば外部の人との在・不在が外より確認できた。不衛生な便所では扉をきちんと閉めて部屋を密閉してしまったら、これは臭いものに蓋をしてしまって、悪臭たるや耐え難いものである。したがって汲み取り式の原始的便所では、扉はないほうが自然なのである。

  フランス・イギリス

 人類文化の中心となるヨーロッパでは、ゲルマン人達は狩猟あがりの農耕民族のものであり、個室密閉式のトイレの必要性は全くなく、山や畑やそこらあたりの自然の中で、意のまま、自由奔放にやった。イギリスやフランスに近代的水洗便所の登場してくるのは、AD1800年代以後のことであり、トイレは王侯貴族のためだけのものであったらしい。つい最近まで古い都市では、水が行くぞうと叫びながら、石造りの建物の上えから、ばさっと、前夜の収集物をいれた馬桶のやうな便器を道路に向かってぶちまけたようだ。パリはベルサイユ宮殿の綺麗に刈り込まれた広大な庭苑の、あちこちの茂みのなかで、つんとすました淑女が立ったまま用をたしていた。舞踏会用のあのイブニングドレスはもともと、ご婦人用の立ションの便利のように工夫されているのではないかと考えられる。

 

 東南アジア曼陀羅

 フィリピン・ベトナム・インドネシアの厠所は、ほとんど川縁あるいは川中や海岸に桟橋状の先にやぐら状の物が作られたてあり、ことに養魚場の上の厠所は凄い。鯉・ナマズ・ウナギ等の生存競争なんてものではない。一匹一匹のさかなではなく、魚の群がおおきな、うねりとなって襲いかかってくる。最新式、自然流自動ビデである。サイゴン川沿いには、粗末な木造家屋が並んでいる。一定の間隔で、細い桟橋の先に四畳半一間を囲んだだけの小部屋が、サイゴン川に突き出ている。そこで岸を背にしてしゃがめば、それはもう立派な小部屋である。人間様のおこぼれを逃すまいと、大騒ぎである。そして、翌朝にはふたたび我々の胃袋に収まる、食物連鎖なのだ。

 インドネシア、フィリッピンあたりの都会では、水洗便所は故障していることがほとんどだが、それに備えてとなりに水とバケツが用意してある。バケツを水で一杯にし、思い切りよく便器にぶちまけると汚物は流れていく。いわばバケツ式水洗トイレで、ぶちまけかたにもコツがあり、勢いがたりないと、汚物は流れていかない。故にペーパーは、便器に入れずにバケツの中に捨てないといけないのである。

 中国の少数民族、フィリッピン、韓国、沖縄、韓国済州島にはピッグトイレといわれるのがある。トイレの下に豚が飼われており、彼らが排泄物をかたずけてくれる。これも立派な食物連鎖なのだが。用をたしている下で豚がうろうろ動いたりすると、なんとも気が落ち着かない。なかには直接ねらいにくるやつがいる。、この豚トイレには、通常長さ3米ぐらいの細い竹が用意されており、この竹棒で直接ねらいにくる豚を追い払うことになる。昨夜の豪華な夕餐の上の子豚の丸焼きがここにいた親子のブタだったとか。

 西アジア事情

 インド、パキスタンあるいは中国の一部あたりでは男たちも立小便をしない。慣例としてシャガミコミションをする。外で用を足す時も、道ばたにしゃがみ、クルタと呼ばれるだぶだぶのズボンから、うまく取り出して用をたす。立ち小便ならずしゃがみこみ小便だ。パキスタンのトイレは、男達は足下にしゃがみ込んで壁に向かってやっている。イランへ行くと、男は大抵ジーパンかスラックスをはいているので、パキスタン人のように道ばたでしゃがみ小便をすることが出来ない。従って、男も小便でも必ず一間を使う。バスで旅をしていると、休憩時間には男性トイレの前に長蛇の列ができる。バスに乗っている客は男のほうが圧倒的に多い為だが、 日本の公園などのトイレの光景とは全く正反対で、女用はがらがら、男用は長蛇の行列だ。建物の裏に回れば周りは砂漠でだれも見ていない。私の目には気分爽快、立ちションし放題に見えるのだが、 だれもそのようなことをしようとせず順番を待っている。 インドあたりでは手で直接洗浄した後の手洗いようと、尻洗いように水瓶が置かれていることがよくある。不浄の左手でやるやつだが、しかしこれには、さすがの私も手を出せなかった。

 中国・インド厠所事情 1

 中国のトイレ事情は複雑怪奇だ。中国へ旅行に行った人は、特に女性の中で、「トイレが汚い、入りにくい、開放的過ぎる」等の理由でもう二度と行きたくないという人がいる。たしかにあまり綺麗でない。しかし30年以上前の事情はほんとに大変だった。世界有数の大都市の北京や上海の最新式ホテルでさえ、個室式近代的トイレはまったく見つけることが困難で、当時、利用した近代的ホテルはすべて周囲開放的であった。小生の記憶では北京飯店(玄関入り口でパスポートの提示を求められた)のみ、真ん中閉鎖式ドアのトイレがあった。しかし当時は特別のVIPしかこのホテルを利用できず、われわれはただトイレの借用のみでこのホテルを訪問した。天安門付近の公衆トイレは、男女とも、大小共横一列しゃがみこみであった。最近では北京・上海等の都会では超近代的、超一流のホテルが林立し、ホテル内でのトイレ問題はほぼ完全に解決された。しかし火車(汽車)のトイレは水洗式だが、昔の我が国ローカル線のごとく、タンクがなく垂れ流しなので、駅に到発着する前後の10分くらいの間、トイレのドアは鍵を閉じられてしまう。これらは、現在のインドでも同様である。

 また、最近では都会の町中のトイレは有料トイレであることが多い。北京の王府井や西単などの繁華街のトイレ(大通りから少し外れた路地に多い)は基本的に有料で、10〜30角を入り口にいる番人(清掃人)に払うとピンクのトイレットペーパーがもらえる。すずめの涙ほどしかもらえず、「これだけで、大丈夫なのか」と心配しつつ中に入る。予想に反して個室密閉式(上下開放型)の比較的清潔なトイレである。有料トイレは番人が常駐しているので掃除が行き届いているらしいが、男子トイレは昔の駅や小学校によくあった横一列全員起立式トイレで、こちらは通常、門番がいないのに、われわれ外国人を見つけると、何処からともなくすぐに現れて、ピンクのトイレットペーパーを一枚だけくれる。このピンクペイパーは水洗に流すのではなく、隅に設置された汚物缶に入れるもの。さすがに田舎へ行くと有料トイレは見あたらないし、番人もいない。無料だ。その代わりに仕切りなど全くなく、悪臭が漂い、昔懐かしいボットン便所あるいは単穴だけの野外トイレだ。

 中国厠所事情 2

 一般の民家にはトイレのない中国では、住民の苦肉の策として登場したのが馬桶(マートン)である。一見すると漬け物樽のようなもので、蓋をつけ部屋の隅に置いてある。人々はそこで用をたし、中のものがある一定量に達すると、公衆便所あるいは近くの運河に捨てにいく。文化レベルの低いイギリスやフランスの租界では、この馬桶を二階の窓から、通りに向かってぶっちゃけたそうである。

 最近でも、はれた天気のよい日には各家々の日当たりのよい場所に、行列してこの馬桶がほされているのが見ることが出来る。布団干しならぬ馬桶干しは中国では、一般日常的風景で、束子(タワシ)で磨かれた中は思いの外清潔なものだ。

 中国のトイレはドアも仕切も全くなく穴だけのものから、仕切があってもドアのないもの、その仕切の高さも人間の背高けより高いものから、膝ぐらいの高さのものまで様々で、一直線の溝が造られ、そこに跨ってするものものまで千差万別である。一般にはドアも仕切も無いことが多い。いったい用をたすためには、どっち向いて(左右)座る(半中腰)のか?横一列、後(前)は何もない。横一列(大)の場合、待っている人(入り口から入ってくる人に対し)に対しお尻をむけて用をたすのか、それとも反対に対面式なのか、戸惑ってしまう。実際は対面式であったが、公園近くの公衆便所は、室内灯も全くなく、真っ暗闇でどこからが便器なのかさっぱり判らない。中国のトイレの印象は強烈だが、慣れてくると抵抗感も薄れてくる。

 チベットのポタラ宮殿には空中厠所がある。小も大も、古い日本とまたっく同じ構造、床は細い竹の簀の子(スノコ)があるだけで、張り出した厠所の下は約100米見通しで何もない。放出された物体は放物線をえがきながら、はるかかなたへと飛んでいく。上から見ても石の城壁は黒く汚れていたが、下から冷風が吹き上げてきて気分爽快なる。

 中国厠所事情 3

 香港は中国に返還されたので、すでに中国籍だ。ペニンスラーホテルは、香港でなくイギリスのしきたりと伝統を代表することで有名である。このホテルにはいわゆるグランド(一階)にはトイレがない(地階にもトイレはない)。あのブランド有名店ブチックのならんだグランドにはトイレがないのだ。しかし一階(二階)に二カ所ぴかぴかの磨きあげられた、清潔感あふれる綺麗なトイレがまっている。ブチック利用のお客は必ずこの二階のトイレを利用することになる。このトイレには昼夜必ず番人が常駐している。普通チップの必要なトイレは洗面台の上に陶製の皿を置き、小銭のコインをすこしおく。しかしペニンスラーのこのトイレには皿が置かれていない。チップなしOKかとも思うが、小便しているあいだに、やっこさん水道の栓を開けて私を待ちかまえて、手で誘導するようにプリーズやむをえず手を洗うと、次の瞬間、真っ白なプレスされ清潔そうな手拭きを見事なタイミングでさしだしプリーズとのたまう。私は手を拭きながら壱圓(日本円約15円)差し出すことにした。やっこさん黙ってそれを受け取りポケットに入た。

 戸惑いの日本式便器  

 日本式トイレも外人から見れば随分とへんもの。とくに欧米人にはしゃがみこみ式トイレは奇異に想うだろう。前後の別を理解できず、うろたえるだろう。西洋式トイレばかりみて生活してくると、日本式トイレでは前後逆の使用方法になる。ヨーロッパなどへ行くと団体バスなんか駐車している高速道路のパーキングエリアでは男子用と思って、飛び込んだらおばちゃん連中がいっぱい。がまんできず、あわてて飛び込んだかと、そとにでてあらためて確認するまでもなく、そこはまさしく男子用便所、つまり男子用がおばちゃん連中に占拠されてしまった。もし反対に女性用トイレなら、それ痴漢の出現とかでおそろしいが。

 アメリカのトイレの仕切りやドアは、床から背丈以上まで密封されている日本のトイレとことなり、膝から頭位までしかなく上下解放式である。密封個室でなく半個室となる。しかもアメリカの便座は非常に高く、日本人のような短足が、この上に座れば足が床にとどかない。ちゅうぶらりんではどこに力をいれたらよいのかさっぱり要領をえない。

 イギリス等のヨーロッパの公衆トイレは、見つけ難く見つけてもほとんど有料トイレだ。ドアにコインを入れなければ利用できないところもあり手洗い場までも有料。小便器の高過ぎのも背伸びしながらするの安定が悪い。

 フランスも穴のないトイレには恐れ入る。パリの三つ星クラスのホテルでもトイレに穴がないところがある。一間の空間は、単なるタイル張りの平面で、レンガ一枚ぐらいの高さの足台がわかるていどの間隔でおかれており、部屋の隅にぶら下がっている針金を引っ張ると水がでてきて洗いながしてくれる。この針金を引っ張るのにまたコツが必要で、うまく処理しないと汚物を残すことになる。また足台と入り口ドアとのあいだが長く飛ばねばならない。用をたすのもひと苦労である。