チベット(Tibet)

同志社大学(京田辺校地)学生専用
デサイナーズマンション
「スカイハイツ三山木」

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 ダライ・ラマを頂点とするチベット仏教として知られるチベット。元々は吐蕃王国として栄えていたが,様々な歴史のなかで現在は中国の自治区にされてしまっている国。
中心であるラサはポタラ宮があることで知られ,標高は3,650mで高山病に気をつける必要がある。
チベットと言えばポタラ宮! 世界遺産にも指定されているポタラ宮は、高い位置にありラサ市内のあちこちから見られる。

 関空より上海のりつぎ成都に一泊、午前中には、チベットのラサ・クンガ空港(標高三千六百米)についた。快晴で雲ひとつない青空はどこまでも青く、空の深青さにひかれて富士山の頂上と同じ高さなのだ。高山病が怖いのだが。現地添乗員も「こんな時期に来る人はいない…」とののしったのである。でも動悸もしないし息切れもしなかったので、到着後すぐに見学に行ったのが悪かったのかも知れない。なんの症状もないのでからだに自信をもったが、数時間後から体が重くなってきていたのである。 
 
 一日目の午前中デプン寺で、午後はセラ寺 を観光した。 ホテルを出発しあっという間に山道に入り急坂を上って行くとデプン寺である。 バスが入れるところから寺の入り口まではかなりの上り坂である。標高が高いところで更に急な上り坂でみんな相当にしんどい様だ。全然平気な私はどんどん登ると思わず声が出る。 「マニ石」とは石の表面にチベット語でお経を刻んだ物でラサに来てから見た のは初めてである。 
 寺の入り口に入るとお坊さんの宿舎である。階段の両側に同じ様な建物が続く白い壁に黒い縁取りの窓で、一般的なチベットの建物と同じ外観である。 寺の中に入り色々な部屋を見学した。その後屋上に行き景色を見る。建物の入り口に行くと極彩色の壁画が一面に広がる。中に入るとバターの匂いがきつい。一度に1000人分の食事を作れるという。
 午後の観光はセラ寺である。 バターの匂いがきつい。 このタンカが掛かっている時にポタラ宮の回りを1周するととっても良い との事で、チベット人に混じり右回りに回り始める。 最初のところにあるマニ車はすごい行列で回すことをあきらめ、どんどん進む。 所々でお香が焚かれ息苦しいにおいがする。
 ここを出て昼食になった。チベット料理の昼食と言うことで、チベット 料理を食べる。高山病とお腹の調子があり、せっかくの料理があまり食べれ ない。味も独特で殆どノドに通りそうにない。チベット料理と言っても、堅い肉でトマトの輪切りに砂糖をかけた物や ピータンなどと言った物であった。
 

ポタラ宮

 2日目はダライ・ラマ(インドに亡命中)のかっての居城・ポタラ宮殿の見学の予定だが、あの十数層の巨大な建物の階段を上り下りできるだろうか。宮殿横の厳しい坂道をタクシーで上がるらしいのだが、坂道の道路が凍結していて整備中なので1時間ほ後くらいでないと上れないという。裏側の駐車場までやっと車で上がれた物のそれから先の急な階段を上るのだがつるつると滑って上がれないのである。それに高山病の症状が出ていて前夜が眠れなくフラフラで大変であった。最上階近くまで何とか上った。この見学通路は、土地の巡礼者たちとはまったく逆まわりに、上から下にお参りすることになっていた。

 今朝、ホテルをでるとき気温は、マイナス15度を示していた。強烈な紫外線で日当たりでは眩しくてたまらない。空気が乾燥しているせいか宮殿内や寺院内は肌寒いかんじで、真っ暗闇のなか羊乳から作ったバターの灯明の匂だけがいやに鼻につく。

ダライ・ラマの居城だったポタラ宮では釈迦からはじまって阿弥陀仏、弥勒菩薩、その他いろいろの菩薩、高僧活仏等の像や各種マンダラ、仏典類が無数に見られる。きびしい自然条件の生活環境のなかでも、輪廻転生の思想を信じ、ただひたすら祈り、巡礼する真摯な姿をまのあたりにして、心打たれるものがある。五体投地をくりかえし、何年もかけて、何千キロの道のりをやっとここまでたどり着いた巡礼たちが、バターを灯明にさす姿を見て、巡礼のためだけに費やすこのエネルギーの源泉は、来世の幸福を願う輪廻の思想からだけかもしれない。

 午後の見学は大昭寺であったと思う。殆ど記憶が無くなっていたのである。大昭寺の中を 見たがの中庭ではものすごい数のろうそくが灯されていたことだけか覚えていない。そのあと八角街の外側の通りの骨董屋を覗き古ぼけたものやタンカを沢山購入した。

世界遺産に指定『ポタラ宮』
 
 『ポタラ宮』は17世紀にダライ・ラマの宮殿として建てられダライ・ラマ政権の中心としてきたが,中国がチベットを領土の一部として宣言したあとの抵抗運動が激しくなり1959年に現在のダライ・ラマ14世がインドに亡命して以来,主のない宮殿となっている。建物の大きさは、高さ110mで左右350mと言われ13階建てで1000以上の部屋があると 言われている。

高山病

 深夜になると寒くて頭がガンガンしてきて熟睡できなくなった。数時間まえから寒くて肩が痛くなり寝返りをうって毛布をからだに巻きつけても寒い。もうかれこれ数時間もうつらうつらしていたが、我慢できず灯をつけて時刻をみると、まだ午前1時、前夜就寝したのは十二時過ぎだったのでほんの数時間しか眠っていない。頭痛もするので風邪でもひいたのかもしれないし、鼻汁に血液がまじっている。室内の温度はマイナス五度以下、高度計は三千五百六十米だから夜になるとぐっと冷え込む。夜間急に気温が変化したのでストーブを持ってきて貰うようにしたが、なかなか暖まらずほとんど変化なし。これで私の人生もおしまいかと思っている間に疲れで眠りについた。

  【後日追加】
 数年後に、南米アンデスの標高三千米ぐらいのクスコ郊外の山中でも高山病になった事があるが、チベットになれていたのでたいした事がなかった。高山病の発症は単なる高度によるだけではない。その発症は個々の身体的条件にもよるが、その場所(緯度・経度)の違いにもよるものだと思う。症状も千差万別いろいろあるといわれている。風邪の症状で、鼻血がともなってくると、まずまちがいない。いままでユーモアたっぷりな人達が、急に口数すくなく、黙ってしまうと赤信号でひどくなると者が皇子で動けなくなってしまうのである。ホテルには、酸素吸入出来る設備はあるが治療法がないので厄介。

 ヂョカン寺周りの八角街はラサのもっとも賑やかなところで屋台が立ち並び、巡礼あいてに日常雑貨から土産物までなんでも売られたいた。このなかに倣骨董品やトルコ石等の装身具の土産物が沢山売られている。

     チベット式葬送の儀

 セラ寺の裏山が、有名な烏葬場であったが、外国人の烏葬の見学は禁止されており、写真をとることができなかった。

 ヤルツォンポ河の支流キチュ河畔までいったとき河岸にケルンのように石積みされてタルチョのはためいているところがある。高さもせいぜい70〜80センチぐらいの石積みで数本の旗とタルチョがはられているだけである。偶然そのとき、そのひとつの一番近くの目の前のところで老女がダビにふされた。突然のことで、一瞬なにが起こったのかわからなかったが、火の手があがったかとおもうと、つぎの瞬間もうもうと黒煙があたりいったいにたちこめた。一人だけの僧侶の読経で、ほんの数人の家族らしい野辺送りの人たちだけの、さびしい水葬の儀式が行われた。
 数年前にガンジス河畔でのバナラシーで公開火葬のおこなわれたのをみたことがあったが、このときは直径十数センチもあろう立派な薪をいげたにくみ、その上でダビにふされた。死体は充分に焼かれ、残灰は聖なるガンジスに還えされたていた。しかし材木のすくないチベットでは、ほんの数センチの太さの数本の薪だけが使用された。勿論充分に焼くことが出来るわけではない。元来、チベットでの葬儀のやりかたは、霊塔葬(ミイラ作成)、天葬(烏葬)、水葬、土葬の四つの方法が取られているという。年中凍っていて木材のとれないチベットでは、火葬は行われないのは当然だ。特別高僧のミイラ葬とか、金持ちの烏葬とかは別にして、普通一般には水葬がおこなわれているらしい。

 輪廻転生

 シガツェ(標高三千九百米)のタシルンポ寺はパンチェン・ラマの居城だ。ダライ・ラマにしても、パンチェン・ラマにしも、その位は代々転生者によって受け継がれる。輪廻転生の思想で、ダライ・ラマは釈迦仏の、パンチェン・ラマは弥勒菩薩の転生者で、それぞれ現在、未来の世界を救済する(追記2・3参照)。ここタシルンポ寺には歴代パンチェン・ラマの霊搭殿が祭られており、奈良東大寺の大仏をはるかに凌ぐ大きさの、金銀宝石で飾られた弥勒菩薩の座像がみられた。

 追記

一 葬礼に関しては、現在チベツトで、烏葬を施行するには四萬元以上の費用が必要であり、水葬では四百〜一千元位ですむそうである。ダライ・ラマ、パンチェン・ラマ等の活仏は別にして、チベットでは烏葬は、特別の高僧にのみとり行われる最高の葬儀であることにはまちがいない。

二 日本で発行されているチベット密教(仏教・ラマ教)に関する数種類の書籍では、ダライ・ラマは観世音菩薩、パンチェン・ラマは阿弥陀如来の化身だと記載されている。現地のガイド、僧侶に数回にわたって聞き直したが、日本の案内書は間違いであると、いずれも同じ解答がかえってきた。


 チベット仏教

 7世紀以降にインドからチベットに伝わり定着した仏教で、現在はゲルク派、カギュー派、ニンマ派、サキャ派の4つの宗派があり、チベット仏教界の最高指導者ダライ・ラマ14世は最大宗派ゲルグ派の出身である。
 チベット仏教では、優れた僧(ラマ)を仏の化身である菩薩とみなし、その僧の死後49日以内に「転生者」を探す習慣がある。転生者と認められた人物を転生活仏、略して活仏(生き仏という意味)と呼ぶ習わしがある。

 仏教の神神 

ラマ教(チベット仏教)の守護神である、ダライ・ラマは釈迦仏の転生者であり、現世の苦痛を取り除き、極楽の世界に導いてくれる。パンチェン・ラマは弥勒菩薩の生まれ変わりであり、未来の世界を支配している。人間死ぬと次の世の中で何に転生するかが、パンチェン・ラマによってコントロールされるのである。人間死ぬと、必ずこの宇宙の中で生まれ変わり、転生する。何に転生するかはダライ・ラマやパンチェン・ラマの活仏の支配するところである。

日中比較

チベット密教(現地) 

 日本の書籍

過去支配

 阿弥陀仏

 記載なし

現在支配

 釈迦仏  ダライ・ラマ   観世音菩薩  ゲンデュン・トゥプ

未来支配

 弥勒菩薩 パンチェン・ラマ   阿弥陀如来  ロサン・チョーキ・ゲルツェン


(多くの日本の書籍のでは、ダライラマは観世音菩薩の、パンチェン・ラマは阿弥陀如来の化身だと記載されているが、それは間違いであるとガイド、僧侶によって指摘された。真実は解らないが両方の考え方を纏めてみると上記のごとくになる。)

    自己の姿の映したものであり、宇宙の縮図とも言える。
    宇宙が自らの姿を顕現させたものとも云うことが出来る。

    日本      仏(如来)・菩薩・明王・天
    チベット    仏・菩薩・明王(護法神)・天・守護尊・女神

    仏(五仏)とは大日・阿しゅく・宝生・阿弥陀・不空成就を示す

    金剛界曼茶羅          不空成就(北)緑

阿弥陀(西)赤 

大日(中央)白

阿しゅく(東)青

 宝生(南)黄

      釈迦   大日如来(蘆舎那仏)   阿しゅく如来   宝生如来

     阿弥陀仏(無量寿・無量光) 西方浄土   不空成就如来   薬師如来   金剛薩た

     秘密集会  怖畏金剛   勝楽尊   呼金剛   時輪金剛(カーラチャクラ) 天文学・暦

     観自在(観世音・観音・世自在)   文殊  金剛手   地蔵   普賢菩薩

     多羅(ターラー)   白衣明妃   魔莫枳(マーマキー)   茶枳尼(ダーキニー)

     般若仏母(般若波羅蜜・知恵の完成)   仏頂尊勝   魔利支(マーリーチー)   ラモ

     大黒(シヴァ神)   不動明王   十忿怒尊

     持国天・増長天・広目天・毘沙門天    方角神   龍王   ガネーシャ

     ガルダ   チティパティ

     パドマサンバヴァ   ミラレパ   タクポ・ラジェ   サキャ・パンディタ

     パクパ・ロドゥー・ゲルツェン   ロンチェン・ラプジャムパー   ツォンカパ

     ダライ・ラマ   ツァンニョン・ヘールカ

高山病

 高地においては気圧,酸素分圧、気温、湿度が低く紫外線の曝露が多いといった環境特性を有している高山病は、こうした環境特性に対し個人における肉体疲労などの身体状況により、高地環境への順応が速やかに行えなかった場合に生じる症候群である。

 高山病が発症する高度は2,400m程度とされているが、これは健康成人での高度であり高齢者や心肺機能に障害のあるものでは、さらに低い高度でも発症することが考えられる。また、航空機などによる移動手段の進歩により、海外高地渡航に際し、2000m程度の高地環境でも軽度の異常を訴える例がときに観察される。2000m弱の高度における海外高地居住により多血傾向を観察したといった報告もあり、2000m弱の高度でも高地環境として生体に影響を与え得ると考えられる。

 高山病は酸素欠乏症状であるので、酸素吸入を行うのが望ましいことは言うまでもない。地上で60%以上の酸素吸入をした場合には、組織呼吸の抑制が見られると言う。余り高濃度の酸素吸入を長時間行うことは望ましくない。なお、酸素吸入は高山病の症状が固定しないうちに行うことが必要である。また酸素吸入をする場合は、ある程度の死腔があって炭酸ガスの不足を来さないように、再呼吸の可能なものが望ましく、また呼吸抵抗の少ないものが必要である。

 ヒトは37℃における飽和水蒸気圧48mmHgと、体内で出来る炭酸ガス分圧40mmHgとの合計である88mmHg、すなわち15000mになると酸素の吸収は分圧の関係で出来なくなることによって起こる。すなわち体内に酸素が取り込まれなくなる。したがってヒトは窒息の状態(anoxia)となり、この高度以上では体内から酸素が出る一方となり、anoxidosisの状態に陥る。

病態

 第一度(感冒・山酔い型)個人差が激しく、2,000m程度の高度から認められるもので、症状として頭痛、悪心嘔吐、食欲不振、不眠、鼻出血、浮腫、呼吸困難、思考力低下などを訴える。初期の風邪のような症状を表し、今まで良くしゃべっていたものが急に黙りこくなってくると危険信号。生命に直接の危険はないが、悪い方に向かうのか、軽快する方に向かうのが見極めが大切である。普通には、しばらく安静にしておけばよくなるし、しばらく酸素をかませれば軽快する。 第二度(網膜出血型)単独、または他の病態に合併して発症するが、黄斑部出血以外は自覚症状に乏しく気づかれないことも多い。割合、早い時期に出てくるので、もし眼底検査をできれば、早期診断に役立つものである。 第三度(肺水腫型)2700-3000m以上の高所へ急速に到達する場合に生じることがある。通常、24-72時間以内に、呼吸困難、咳、血痰などの呼吸器症状、および悪心嘔吐、微熱、頻脈、チアノーゼといった症状の訴えにより発症する.聴診上は水泡性ラ音を聴取する。急速に悪化し、適切な処置を必要とするし、死亡率は高い。なんといっても可及的すみやかな処置は必要で、低所に移動させなばならない。勿論入院加療を要する。 第四度(脳浮腫型)この状態に至れば、ほとんど不可逆である。頻度は少ないが、激しい頭痛、失調性歩行、幻聴、幻視といった精神神経症状で発症し、痙攣を伴い、急速に意識障害をきたして昏睡から死の転帰をとる病態である。

治療

【酸素吸入】原則、これに勝るものはない。登山用の携帯用酸素ボンベ(500ml位のガスボンベ)が軽くて便利であるが、ヒマラヤ登山なんかは別にすれば、必要な、世界中の山小屋、招待所、ホテルに殆ど完備されていることが多い。初期治療が大切で、10〜15分の酸素吸入で十分であり、もし続けて行うときでも間欠的に行うのがよい。

【薬物療法】

1:組織の酸化促進 ポルフィリン・チトクロームC・オキシアントラフェニール酸・グルタチオン製剤
2:頭痛、頭重感(対症療法) アスピリン・グレラン・消炎酵素剤(ボルタレン・ポンタール)
3:自律神経不安定症状 ウインタミン・トラプラ・ファイナリン
4:不眠症 トランキナイザー・オキシパン
5:減尿対策 塩分の補給・冠拡張剤(テオフィリン製剤)
6:コラップス対策 糖液の静注・点滴・やむをえずステロイド剤の投与
7:循環不全対策 アドレナリン・カフェン・ビタミンC・デギタリス製剤・冠拡張剤・ステロイドの点滴療法を酸素テントのなかで行う。呼吸コントロールの必要なこともある。
8:抗生剤の投与、誤飲による肺炎等の対策である。

【予防薬】
 予防薬として冠拡張剤(コルフィリン製剤・テオドール徐放錠・ユニフル徐放錠等)の使用を勧める人もいるが、私は予防剤としての使用には反対である。強心作用、利尿作用を期待して、軽い症状を呈してから飲むのも良いだろう。気管支拡張作用のみならず、その軽度の利尿作用を期待してのことである。老年者ならともかく、若い人にとっては、むしろ、アスピリンの服用が良いかも知れない。西洋人では、アスピリンの服用をよく目撃するが、西洋人は生まれたときからアスピリン、アスピリンである。西欧の母は、子供が、頭が痛い、お腹が痛い、風邪引いた、と言ったら、まず、なんでもかんでもアスピリンを与える。どんな病気でもアスピリンがまず与えられる。アスピリンで治らなければ、はじめてお医者さんに連れていく。こんな生活習慣から、アスピリンを飲んでいるので、これなんかは高山病の特効薬でもなんでもない。でもこのアスピリンは頭痛に良く効くし、血液もサラサラ、よく流れるし、大変理にかなっている。でもアスピリンは胃に障害を与える代表的なクスリ、使用には十分な注意が必要である(非ピリン系薬剤であるが、子供の血液に重大な障害を与えることがある)。結局高山病の予防薬なんて存在しないのだ。

【保温】 どんな病気でも保温が必要なことは言うまでもない。ことに高山病では血中の酸素分圧が低下し、末梢血管が収縮をおこしているので、保温で末梢循環の回復に努めねばならない。
【食欲不振】 一般的対症療法が取り入れられる。過剰な水分の強制補給は循環不全を増長さす危険があるので注意を要する。
【下痢便秘】 高山病の発症予防にも便通を整えることが大切である。腸炎等で脱水症状があり、体力の弱っているときは発症しやすい。
【低所移動】 不幸にして、高山病らしき症状に見舞われたら、出来るだけ早い時期に低所に移動するのがよい。これが最善策である。躊躇うとろくなことがない。