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 この会は、平成14年に「市民による待づくり」として発足し京田辺市に要望書と具体的な構想を提案して代表が市へ提出しましたが、
平成17年の6月現在に至っても一切連絡がなくどの様になつたのか回答を頂いていません。ただ市議会では、一連の市の総合計画の中で考えるという市長らの答弁がありました。しかし、市が発表した都市計画には、市民からアンケートを採ったり士にとって都合の良い諸団体の意見を聞き十分検討してまとめられたようですが、抽象的な事ばかりで市民にとって役立つような物が見えなく、また具体的にどの様な都市計画をしょうとしているのか残念ながら何も見えてこない計画でした。特に三山木駅前の計画に至っては、何年も前の抽象的な文章をそのまま載せているだけでした。この様な状態では、いくら提案しても惨めになるだけなので会は、いったん休眠することにしました。
 その後、市長選があり市長の最大公約として田辺警察署の南にある府営農場の場所に「教育総合センター」のような物を造りそこに資料館や大ホールを作るということが急に浮上しました。しかしこの土地は、貴重な興戸遺跡が地下に沢山あるため開発に遺跡調査をしなければならず数億円が必要であるということがわかり頓挫しているようです。 (2005.5.1記入)

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■ もくじ
 『特別寄稿』A、 関西の私大名門・同志社大学  2005.8.16
    同大転損失額、地元の影響約22億円 ?

    同志社大学
     同志社大学京田辺キャンパス


 同大移転損失額、地元の影響約22億円 ?
 2006年8月1日発行の「京田辺市議会だより」第14号によると、無会派の南部登志子議員が「同志社大学文系学部の今出川移転報道を受けて」質問にたち、「2013年度を目途に移転するという報道の事実経過は・・」に対して助役は、「本年3月に大学将来構想委員会から答申され平成25年度までに文系学部を京田辺から今出川キャンパスに全面移転するという事であったため、直ちに市長が同志社大学八田学長と面談し学生が激減することで本市のまちづくりや地域経済に重要な影響をもたらすものであることを申し入れた。それに対し大学側は、学生数は減るが理工系学部の拠点として位置づけられるし、新たな学部も設置予定している・・」と答弁された。さらに南部議員は、「移転した場合の市の財政や周辺地域業者等へ与える経済的損失額はどれくらいなのか」に対して助役は、「推定学生数は、5500人、下宿者数1800人程度減少。普通交付税で約1億7500万円減少。地元への影響額は、22億1000万円・・」と答えた。  しかし、大学側の言う2つの新学部は、400人程度であり4年後に1600人増加しても女子大が約1700人程度移転するという情報もあるため実際の京田辺市側の発表よりさらに1900人多い実質7400人の減少となるのではと地元でささやかれています。
 また下宿者数に対しても、ある斡旋業者は、市が発表より1700人多い3500人減少すると推定しています。もしこれが事実であれば地元への影響は、かなり高くなる可能性がでてきます。

同志社大学
 立命館の猛追にあえぐ、眠れる伝統校。だが、本当は早慶上智なんて呼称じゃなく早慶同と言ってもいいほどの名門大学だ。素晴らしい伝統があり、関西には有力OBが多いので、今の受験生にとっては超オトクな大学といえる。少なくとも就職で立命館に劣るということはない。ミッション系なのにバンカラな校風がたまらん。地名ではなく「同志が集う」という校名も素晴らしい。
★立地・設備
 本部の3・4回生が過ごす今出川キャンパスは京都御所の隣。重要文化財の赤レンガ建築が建ち並ぶ。ここに行くとキャンパスの美しさと恵まれた立地に目を奪われる。1・2年がすごす田園都市の京田辺キャンパスは同志社の凋落に多大な貢献をしたが、学内設備は実に良い。工学部だけここに4年間過ごす。現在先端技術会社からの寄付により正門前に立派な校舎が建設中である。どちらのキャンパスにも同志社女子大が隣接している。

同志社大学京田辺キャンパス   〒610-0394 京都府京田辺市多々羅都谷1-3
 同志社大学京田辺キャンパスは、伝統に培われた風格のある今出川キャンパスの継承と、自然環境のに留意して1986年に開校されました。現在は、文科系学部の1,2年次生と、工学部・大学院工学研究科全学生の約12、000人の学生が学んでいます。東西1、200m、南北800mの敷地があり総面積79万m2(隣接の同志社女子大・国際中高を含めると100万m2)ある。
 正門正面にラーネッド記念図書館があり、その西に特別教室棟や食堂それに福利厚生施設などある。
学生が共通に使用する施設群を中央軸に、南に事務管理棟・教室棟・学生の文化活動のためのボックス棟が、北には研究棟・工学部棟群・キリスト教文化センターなどがある。
 校地の西には、ポーツが可能な体育施設が配置され総合体育館や体育研究室棟がある。南には合宿棟・ボックス棟やテニスコート、北に硬式野球場やゴルフ練習場がある。西端は陸上競技場と各種グラウンドがある。
 キャンパスの出入口は、正面・北門・南門・西門の4か所あり。女子大学校地内に全同志社共用の礼拝堂、新島記念講堂がある。
路線バスは、「三山木」からが近くて便利であるが近鉄「新田辺」からの便もある。 (2005.8.16現在)


『特別寄稿』A関西の私大名門・同志社大学
   
 同大文系学部が移転で京都府南部の京田辺市大打撃  2006.0803発
    同志社大学の情報 京田辺キャンパス
    
京都の同大が「同志社小学校開設
    
同志社大学の歩み
    
同志社大学京田辺キャンパス


同大文系学部が移転で京都府南部の京田辺市大打撃

関西の私大名門である同志社大学は、文系6学部を今出川キャンパスに2013年までに全面移転する事を7月31日正式に発表した。
 京都府南部の京阪奈学術研究都市にあたる田園都市の京田辺市は、現在同志社大学の1から2回生の全学生が環境の整った京田辺市キャンパスで一般教養を身につけたあと、3から4回生になると女子大と理工学部を除いた文系6学部のみ今出川キャンパスに移り専門科目を取得することになっている。しかし、今回の再編に伴い文系6学部が一回生から今出川キャンパスで4年間勉強することになり学生が半減することとなり急激に発展してきた京田辺の経済が大打撃をうける事になった。同志社大学では、新たに医学系の「生命医科学部」と「スポーツ健康科学部」の2学部を京田辺キャンパスに新設すると発表しているが、移転する学生の方がはるかに多く現在より学生数がおよそ7000人少なくなると言われている。
 この学生の大幅減少は、地元住民にとっても死活問題であり京田辺市の税収入も大幅に減少することが明らかであると共に学生マンションや飲食店それに各種商店の全てが大打撃を受けることになります。
 もともと同志社大学がこの京田辺市に来ることになったのは、創始者の新島嬢が明治時代この地に南山義塾を開いた事から京都府南部の田園都市に第2のキャンパスとして20年ほど前に新設されたものです。
 ところが最近この南山義塾跡と記された石碑の同志社の土地が一般に売却された事が判明し地元の郷土史会が「大変なことになった」と理事会等で話題になり大騒ぎになりました。委員からは「創始者の新島襄が活躍した土地を売却するとは・・、同志社は何を考えているのか。石碑を移動したら場所が判らなくなる。」など色々な意見が飛び出しました。
 一方、
京田辺キャンパスの主要駅である近鉄京都線の三山木駅とJR学研都市線のJR三山木駅周辺の商店や住民らで構成する人達を対象にした区画整理事業の土地をどうするのかという「三山木まちづくり勉強会」が開かれましたが、同志社今出川への文系6学部移転問題が話題となり、今まで同志社の学生を中心にして考えていたが学生数が半減すると街作りの仕方も大幅に変わってくると言うことで何ら具体的な見通しすら提案出来ずじまいで移転問題だけが大きくクローズアップされただけで終わりました。
 同社社大学も京田辺市民に対して大変罪深い方針を打ち出したわけで、京田辺市は同志社駅前の通学路整備などを現在行っていますが、今後どの様な大学の街にして行こうと考えているのか、同志社大学へ向けての市民による視線が厳しくなりそうです。

同志社大学の情報 Information of the Doshisha university 
京田辺キャンパス KYO-TANABE Campus 


創立者、新島襄は、キリスト教主義にもとずく知徳平行教育を強調。名誉欲や利害だけでは駄目とした。
新島は,キリスト教主義にもとずく知徳平行教育を強調。知識のみに片寄った教育を受けたものは,己の名誉欲や利害だけで働く利己的な人間になりがちだ、と新島は考えた
。他人の不幸や迷惑を顧みないというのだ。キリスト教の教えにもとずく徳育を新島が強調したのは、知識教育の片寄りを正すためであった。明治初期の日本において、彼
は抜群の国際人であった。そうあらしめたのは、10年におよぶ外国人社会での生活体験と、キリストの教えに忠実だったことによる・・。               
 新島と共に同志社をつくった人J.D.デイビスは、死に臨んで、”My Life is My Message”(私の生涯が私の遺言です)。この言葉は、田辺校地の
デイビス記念館のロビーに刻まれている。また、キャンパスの正門を入ったところにある同志社の大学教育のシンボルとなる石碑。「良心之全身二充満シタル丈夫ノ起り来
ラン事ヲ」という新島襄のメッセージが刻まれている・・。                                              
ラーネット記念図書館: 初代学長をつとめたD.Wラーネッドを記念する図書館。正面玄関上に刻まれた”Learn to Live and Live to Learn”(生
きるために学ぼう、そして学ぶために生きよう)は彼の愛誦句。                                     
デイビィス記念館: 新島襄の片腕となって同志社英学校の設立に貢献したJ.D.デイビィスを記念する総合体育館兼講堂。”My Life is Message”(
私の生涯が私の遺言です)の言葉が正面ロビーに掲げられている。                                      
新島記念講堂(礼拝堂):全同志社共同の礼拝堂として女子大校地内に1988年9月に竣工した。多目的に使用できる設備を整えている。
理化学館 正面玄関上に、J.N.ハリスの言葉も”SEEK THROUGH YOUR VACATION TO SERVE GOD AND HUMANITY”(
天職による神と人類への献身)の言葉が刻まれている。

京都の同大が「同志社小学校開設
 学校法人同志社理事会、評議員会で、「同志社小学校(仮称)」の開設が決定した。
 1875年に同志社英学校を創設した新島襄の「基督主義ノ学校ハ幼稚園ヨリ大学ニ至ル迄実ニ必要ノモノト信スレドモ、当時我輩ノ力尚微々タリ、尽ク之ニ着手シ得サルベ
シ」の遺志により、2006年4月に開校されます。
 創立 125周年を契機に、小学校設立を検討し「私学」同志社の特色ある教育理念に基づく初等教育から大学までの一貫教育を目指すべく同志社全学園の総力をあげた大事
業です。
同志社設立の理念である「国際主義」教育を実践するため、英語を取り入れた教育など、知育、徳育、体育のバランスのとれた教育を目指されています。

同志社大学の歩み
1843(天保14)年 上州安中藩江戸屋敷で新島襄誕生
1870(明治3)年  アーモスト大学卒業。
1875(明治8)年  官許同志社英学校開校。京都府知事槇村正直の賛同を得。
            上京寺町通丸太町上ル松蔭町18番地を借りた校舎。教員は新島襄とJ.D.デイヴィス。生徒8人。
1876(明治9)年9月 今出川校地へ移る。
1877(明治10)年4月 同志社分校女紅場を開設。
1890(明治23)年1月23日 新島襄永眠。東山若王子山頂に葬る。
1948(昭和23)年4月 新制大学開校。神・文・法・経済学部が開設。
1986(昭和61)年4月 田辺校地開校。4月から全学部第1部1・2年次生の授業開始。
          文学研究科社会福祉学専攻博士課程(後期課程)、国文学専攻博士課程(後期課程)開設。
       5月 女子大学短期大学部開校。
1994(平成6)年3月 田辺校地理化学館ほか11棟(工学部棟)および紫苑館、恵道館竣工。
       4月 工学部知識工学科、機能分子工学科、物質化学工学科を新設。
           機械工学科を機械システム工学科に、機械工学第二学科をエネルギー機械工学科に学科名変更。
           工学部および工学研究科、理工学研究所を田辺校地に統合移転。

同志社大学の特徴
 立命館の猛追にあえぐ、眠れる伝統校。だが、本当は早慶上智なんて呼称じゃなく早慶同と言ってもいいほどの名門大学だ。素晴らしい伝統があり、関西には有力OBが多いので、今の受験生にとっては超オトクな大学といえる。少なくとも就職で立命館に劣るということはない。ミッション系なのにバンカラな校風がたまらん。地名ではなく「同志が集う」という校名も素晴らしい。
★立地・設備
 本部の3・4回生が過ごす今出川キャンパスは京都御所の隣。重要文化財の赤レンガ建築が建ち並ぶ。ここに行くとキャンパスの美しさと恵まれた立地に目を奪われる。1・2年がすごす田園都市の京田辺キャンパスは同志社の凋落に多大な貢献をしたが、学内設備は実に良い。工学部だけここに4年間過ごす。現在先端技術会社からの寄付により正門前に立派な校舎が建設中である。どちらのキャンパスにも同志社女子大が隣接している。
★研究・教育
神学部…この大学の魅力は、ミッション系なのに京都の持つ得体の知れない力があるところ。神学部は多くの一般学生に関係はないものの、同志社のアイデンティティーの源。
文学部…ミッション系らしく看板。ただ、社会学、社会福祉、新聞学、産業関係学の4専攻を持ち、本来なら学部に昇格できるほどの規模の社会学科を内包していたり、哲学、教育、心理、美学及び芸術、文化史、国文学を全部文化学科にひっくるめたりしている。
法学部…真の看板学部。卒業生の1割が大学院に進学、4年間今出川で過ごせるコースがある、立命館の法学部よりもはるかに司法試験合格者が多いなど魅力満載にも関わらず、広報の宣伝下手が裏目に出ているが多くの法曹界に就職している。
経済学部…関西経済界の重鎮。ただ、関西は伝統的に京大、阪大、神大の経済という大きな壁がある、しかし関西経済界に籍を置く経営者が多く絶大な威力を発揮している。就職には困らない学部。
商学部…経済学部が放棄したマルクス経済学をいまだに教えている、金融、貿易に関する科目が多く、実学を学べる。関西で就職するには悪くない学部だろう。公認会計士の分野では立命館など足元にも及ばず、京大すら圧倒していて関西ではナンバーワン。しかし「遊びましょう」という商学部らしい?噂がある。
工学部…医学部がないだけに理系は光っている。京田辺移転で拡充され立派な設備が整えられた。理工学部に改組しなかったのが悔やまれる。スパルタ教育で一単位でも落とすと4年間の内に単位が取れない為に留年組みが続出している。注意が必要である。
大学院…総合政策科学研究科、アメリカ研究科という独立大学院を持つが、誰も知らない。
★学生活動
 サークルは結構ある。田辺の部室棟の汚れ方は関西随一であるらしい、学生の活発さが表現されていて素晴らしい。でも今出川のボロボロの別館は新町校舎の学生会館に建て直されてしまった。大学紛争当時には、学生会館は赤ヘルのアジとであった。現在の学生は誰も知らないけれど。学園祭「同志社EVE」は模擬店ばかりで文化系サークルの参加が少なく、アカデミックさに欠ける。立命館以上に活気のない大学になっていることはほぼ間違いない。残念である。
★就職
 おそらくOBだらけの関西では無敵。しかし自分が何がやりたいかが重要である。大学の名前に頼りすぎると駄目。

同志社大学京田辺キャンパス   〒610-0394 京田辺市多々羅都谷1-3
 同志社大学京田辺キャンパスは、伝統に培われた風格のある今出川キャンパスの継承と、自然環境のに留意して1986年に開校されました。現在は、文科系学部の1,2年次生と、工学部・大学院工学研究科全学生の約12、000人の学生が学んでいます。東西1、200m、南北800mの敷地があり総面積79万m2(隣接の同志社女子大・国際中高を含めると100万m2)ある。
 正門正面にラーネッド記念図書館があり、その西に特別教室棟や食堂それに福利厚生施設などある。
学生が共通に使用する施設群を中央軸に、南に事務管理棟・教室棟・学生の文化活動のためのボックス棟が、北には研究棟・工学部棟群・キリスト教文化センターなどがある。
 校地の西には、ポーツが可能な体育施設が配置され総合体育館や体育研究室棟がある。南には合宿棟・ボックス棟やテニスコート、北に硬式野球場やゴルフ練習場がある。西端は陸上競技場と各種グラウンドがある。
 キャンパスの出入口は、正面・北門・南門・西門の4か所あり。女子大学校地内に全同志社共用の礼拝堂、新島記念講堂がある。
路線バスは、「三山木」からが近くて便利であるが近鉄「新田辺」からの便もある。


 実は先日の平成17年6月10日に我が家のポストに偶然投函された地域政治文化新報"碧空"「あおぞら」第9号の特集「全体構想なき"三山木駅前開発"のこと 〜へたくそな外科手術のようで、怖い〜」で、司会者と京田辺CF代表 森本あきひろ氏の対談によると、 (2005.6.18記入)

現状・・
 公共事業に244億円も投下され費用対効果を考えたら、この先、現市政執行部は腹を切らざるを得ないかも知れませんね・・・。
問題・・
 1.地権者はみな、困っている。
    ・イメージが明確にされていない。
    ・集客の仕掛けが十分に検討されていない。
 2.「見通しの持てなさ」が一番の問題。
    ・現商店主や地権者には、固定資産税だけが上がりありがた迷惑。
原因・・
 1.行政が描く"まちづくり"のイメージが抽象的か、無いに等しくハード面だけ。
    ・市議会だよりを読んでも、現実との大きなギャップを感じる。
    ・ソフト面を個々の地権者の判断に委ね過ぎている。
    ・利権者はいるが、公正なリーダーや新しい発想の取りまとめ役がいない。
    ・市が決めた審議会や協議会などあるが新発想が生まれる可能性無く、市役所内の組織もそう。
    ・発足の時期が遅い。
対策・・
   ・早急に顔のイメージやコンセプトを決める。歴史が古い地域をいかす・・。
   ・まちづくりのプロを入れた継続的な組織を早急に立ち上げる。
   ・行政が音頭を取る。
  
京田辺CF代表 森本あきひろ氏の私見・・
   ・公共施設の建設・・
     図書館や映画館を併設した生涯学習センター(教育文化総合センターといってもよい)
     南部住民センター。地元以外に学生の視野に入れた施設。
   ・要は集客のための仕掛けを立体的に構築する以外、三山木駅前地区および周辺の持続的な発展は難しい。
 
司会者・・
   何れにせよ、地域の特性を発見して、それを生かさない事には何も始まらない。

私と上記の方とは面識もない方ですので、ここでお断りしておきます>

【参考資料】
●京田辺市(きょうたなべ)[平成9年4月1日市制施行]
【京田辺市民憲章】[昭和41年10月1日制定]
わたくしたちは未来に向つて 明るく住みよい緑豊かなまちづくりを進めていくために 市民憲章を定めます
わたくしたちは 自然環境をまもり 美しいまちづくりを進めます
わたくしたちは 産業と生活をはぐくみ 快適な田園都市をめざします
わたくしたちは 心のふれあう 健康で明るい福祉のまちを築きます
わたくしたちは 歴史と文化を大切にし 心豊かな人づくりに努めます
わたくしたちは 世界と手をつなぎ 力を合わせて平和なまちをつくります


以下は、平成14年(2002年)に作成したものです。

 京阪奈学術研究都市の”北の表玄関”として「三山木地区特定土地区画整理」事業が京田辺市により進められています。この事業は、JR学研都市線と近鉄京都線を橋上化して駅周辺を土地区画整理事業により開発するものです。そこで住民参加による21世紀の駅前周辺の広場づくりを実現するために「街ぐるみ生活公園都市の会」を発足させました。メンバーは、区画整理対策会議の世話役・二又商店街・郷土史家・市会議員・地権者・主婦・大学教授・音楽教師・考古地理学者・植木職人・資料館関係者・社会福祉関係者・同志社大学生・博物館職員・NPO(日本民家再生リサイクル協会員) 他です。                                                                      

 三山木駅前の区画整理と町づくりは、21世紀に向けた豊かで穏やかな中心市街地にする必要がある。街を訪れる人に目を向けたり、観光資源や歴史的資産の活用を行って、新しい観光資源の開発をする必要がある。具体的には、昔からの街並や地域の産業を活かし、エコミューゼやエココミュージアムと呼ばれているが、地域のあるがままの姿を博物館に見立てて展示し、観光客を呼び込んでいこうというまちづくりをする。

市民のための「三山木地区特定土地区画整理」構想
   「市民参加の街づくり」三山木駅前区画整理の街づくり構想計画 冊子                        平成14年(2002年)10月6日 発行
   
 編集・発行  街ぐるみ生活公園都市の
    世話人代表  磯田宇乃
 小泉芳孝 中川 博 玉木ダーナ 橘 雄介

「街ぐるみ生活公園都市の会」メンバー(順不同)・・・
 磯田宇乃
 小泉芳孝 中川 博 大鉢美智子 玉木 ダーナ 橘 雄介 大森 亘 河野俊彦 小野忠煕 中川勝 澤田義信 小泉郁子 仮屋 優子 大野 秀憲 中西 宏次 他

  
このホームページは、市民の有志により作成したものです。        kukaku-top(frame) 
    
あなたは番目の 訪問者です! 更新:2010年10月30日                    kukaku

中心市街地の活性化を図るには、まず、どのようにして中心市街地に人を集め、賑わいを生み出すかということが大切。このため、次のようなポイントを押さえた取り組みが効果的。  

@商業などの魅力を高める
 それぞれの店舗を経営する商業者自らが創意工夫をこらすことに加えて、空き店舗・空きビル等の活用。

A文化・交流・福祉などの機能を強化する
 商業だけでなく、再開発や区画整理とあわせた公共公益施設の整備、空き店舗や既存の公益施設の活用などにより、文化、交流、福祉、学習、情報等に関する機能を強化し、中心市街地を地域住民にとっての「生活・交流の拠点」として整備することが大切。

Bイベントなどを催す
 中心市街地の吸引力を高めるためには、施設の整備やサービスの向上といったことに加えて、まちに出掛ける楽しさを演出するため、お祭り、街角コンサート、朝市、リサイクルなどの
イベント開催や、そうしたイベントが可能な場を用意する。 

C街を訪れる人に目を向ける
 中心市街地の賑わいづくりには、その街に住んでいる人に限らず、観光やビジネスを目的にその街を訪れる人を増やすことを考える。

@まちづくりのイメージを共有する
 様々な取り組みが一体となって高い効果を現すためには、目標となる中心市街地の将来像やまちづくりの進め方などについて、関係者が共通のイメージを持つことが必要です。このためには、中心市街地の活性化に関して、できるだけ具体的でイメージ豊かなわかりやすい計画をつくることが効果的です。なお、その際には計画が「絵に描いたモチ」にならないように、地域の特色や現状、地域住民の意向などをふまえながら、関係者が一致協力して取り組めば実現できる夢を描くことが大切。

A積極的な情報発信や住民参加を行う
 地域コミュニティの核として再生するには、中心市街地で働いたり住んでいる人に限らず、市町村の住民全体の理解と協力が不可欠です。

  基本計画の特徴
事業間で連携を図ることにより相乗効果が期待される。
具体的事業を進めるにあたり、手続や制度面で国に対して要望する。
1.中心市街地の歴史的経緯  ”竹取物語の里”京田辺や地域の歴史を見つめる。
2.近隣の都市機能との関係 
駅等の交通ターミナルが市街地内にある。(JR三山木駅・近鉄三山木駅)
5.取組み
(1) 商業などの魅力を高める ・共同店舗の整備、街のイメージ化(色やテーマ)
(2) 文化・交流・福祉などの機能を強化する
 ・文化・交流・学習施設等の整備
  筒城の丘資料館・・・
    考古学、地質学的な京田辺のなりたち。
    高地性集落など先人の足跡を辿る遺跡や遺物の展示。
    隼人舞・ずいき神輿・百味と湯立て神楽など祭りの伝承の展示。
  『竹取物語』物語ミュージアム・・・
    三山木を中心に日本や世界各地の「かぐや姫伝承地」の民俗の歴史・
    竹取物語の里から21世紀へのメッセージをのせたものを展示。
  翁の家(交流館)・・・
    昔ながらの民家を生かし、誰でも交流できる家。休憩所。
    昔ながらの伝承遊びや紙芝居など、様々な催しがボランティアの
    手で運営される。地元の作業所の展示など。
 ・福祉・健康増進施設等の整備・・・バリアフリー化
 ・情報関連施設の整備・・・学研都市、インターネット
 ・その他の公共施設の整備
 (3) イベントなどを催す
    ・イベント等の実施(月草ホール・ギャラリー倉)
    ・イベントが可能な場の整備(駅前広場・イベント広場「花ごよみ」)
 
(4) 街を訪れる人に目を向ける
    ・観光資源や歴史的資産の活用(歴史散歩道・社寺仏閣)
    ・観光資源の開発(竹取物語の里・山本の駅・一休さん)
    ・観光客等へのサービス向上(道標の設置・地図・地域紹介のパンフ)
    ・大会や会議の誘致
 
(5) 快適に過ごせる環境を整える
    ・歩きやすい環境の整備
    ・公園等憩いの場の整備(月見公園・あきつ公園・花見公園・風見公園)
    ・バリアフリー化
    ・街並み・景観整備(竹林・滝・せせらぎ)
 
(6) 来やすくする
    ・駐車場及び駐車場案内システムの整備
 
(7) 公共交通の利便を向上させる
    ・公共交通の利便性向上
      (JR三山木駅の高架化完成、近鉄三山木駅高架化'07年完成予定)
    .近鉄京都線・三山木駅の急行停車・地下鉄延長(三山木駅まで)

駅前広場など全体整備について


「街ぐるみ生活公園都市」の会、その他スケジュール 時間はいずれも午後8時〜11時頃まで
2002年
5月15日(水) 発起人会を開催。学研都市の現状を報告。
          
「三山木地区特定土地区画整理」事業の現状の動きを報告。
          保留地6000へ−ベーの現状把握と有効利用方法
          ディベロッパ−の商業地域住民への説明会とその後
          地元商店街の動きと組織について
          それぞれの各専門分野についての現状を調べる
6月 5日(水) 第二回会合。学研都市の現状を発表。
         各地の「音楽ホール」や「文化施設」「都市公園」などの調査内容に
         ついて検討。
         過去に実施された同志社大ゼミ学生による「街づくり報告」の検討
         各専門分野についての調査報告と提案それに管理と運営方法について
         スケジュール・運営・内容の討議 
         京都新聞記者の取材あり。
6月17日(月)『京都新聞』朝刊記事(右の新聞をクリックすると詳細が見られます)
   【内容】進む三山木の土地区画整理事業、歴史や文化踏まえ特色ある地域に
       まちづくり住民の手で 将来像を模索「街づくり生活公園都市の会」
       アンケートまとめ 市に要望書提出へ (京田辺支局 立川信伍)
6月13日(木)京田辺市の6月本会議で橘議員が「三山木土地区画整理事業」に
         関して一般質問。
   【内容】「三山木駅前に文化施設ゾーンを」と題して、三山木地区特定区画整理
       事業のキャッチフレーズ「若さあふれる快遊生活拠点の創造」など。
6月19日(水)「音楽と芸術ゾーン」について各地の施設調査と内容を報告。
          「人と施設ゾーン」について「彦根市銀座商店街の町づくり」と
          「高山竹林公園」の調査の内容を発表。 
          橘議員「6月本会議の一般質問」での「三山木駅前に文化施設
         ゾーンを」についての答弁(市長・建設部長)内容などの報告。
         全体のテーマ・イメージ図・配置図面・概観・大まかな施設名の検討
7月 3日(水)「博物館・資料館」利用・保存・伝承するための内容の検討。
         京田辺の歴史財産・遺跡と遺物・祭りなどの文化伝承の内容発表。
         「本会議一般質問」の答弁について橘議員から報告。
         住民へのアンケート内容の検討と方法について
         その他周囲の状況を調査結果の発表。
7月 8日(月)
「街ぐるみ生活公園都市」の会ホームページ立ち上げ
7月12日(金) 二又商店街の人達との意見交換など。●右の画をクリックすると拡大画面が見られます。
          住民へのアンケート調査実施の内容と場所それに開催日時について
          ホームページで要望内容を公表し、都市のイメージ図を書く。
7月17日(水) 住民へのアンケート調査内容の決定と開催日時決める
          住民へのアンケート調査場所:近鉄三山木駅前・JR三山木駅前、その他メンバーが独自に調査。
          アンケート対象者:区画整理の世話役・郷土史家・市会議員・地権者・主婦・学生・教育関係者・市職員・
                      音楽関係者・資料館関係者・社会福祉関係者・博物館職員などの各職種の地域住民。
          新しく会に出席頂く方には、事前に今までの経過を説明し事前にメール等で煮詰めておく       
          各ゾーンについての財源と運営資金について調査報告
          第一回目「市への提案内容と要望書」の提出準備
         内容:全体のテーマ・イメージ図・配置図面・概観、大まかな施設名
         など決める。
                    
         色々な動きを把握しながら上記内容について詳細を決定
7月27日(土)「三山木駅周辺地域についてのアンケート」実施住民アンケート
           時間:9:00〜16時
           場所:近鉄京都線 三山木駅前(京都駅行き乗り場改札口前)南商店横
           対象者:不特定多数の市民及び他府県の人達
   至急7/27住民アンケートを実施100名余りを回収できました。)
  少なくとも
300名から500名が必要と思いますので各自で色々な人達に
  配布し回収お願いします。
7月27日(土)〜31日(水)
          上記以外に会メンバー個人による「三山木駅周辺地域についてのアンケート」実施
          アンケート用紙を27日(土)実施場所で受け取ってください。

8月10日(土) 会員が配布したアンケート用紙の回収
         現在、87人分を回収済み。小泉の手元にあわせて180人分があります。
8月 21日(水)皆さんにより配布されたアンケート用紙を次回8/21(水)に持参して下さい。
         「三山木駅周辺地域についてのアンケート」のデータ−をまとめる。
                     「要望書」提出内容の検討
         テーマ・イメージ図・配置図面・概観、大まかな施設名など詳細を決定
         要望書の内容をまとめ、冊子を作る。都市のイメージ図を書く。
9月11日(水) この日までに提案を各専門分野ごとにまとめた文章をメールやFAXでメンバー
          全員に送る。メンバーは、それぞれの案を事前に検討しておき持ち寄る。
          その後、市への要望書を完成さす。
10月2日(水)原稿校正完了
10月3日(木)印刷開始
10月5(土)〜6日(日)印刷、製本

10月9日(水) 市役所への提案書提出日程
          場所 京田辺市役所 4F市長公室で提出 政策推進課へも
         日時 平成14年10月9日(水)午前10時〜 
         久村市長が出張予定なので、中川市長公室長が対応して頂きました。
        会の出席者は、磯田宇乃、小泉芳孝、橘雄介の代表3名。

当日のスケジュール・・・
 当日10/9(水)に市役所に伺い中川市長公室長に冊子を手渡して趣旨と主な内容について代表から説明をし、市長をはじめ関係部課長への伝言と提案書5,6部(冊子)を手渡しました。このあと記者クラブに寄せて頂いて記者の皆さんに同様の冊子を各社の皆さんに手渡し、簡単な説明を行わせて頂きました。
 その他は、市議会議員19名と教育委員会委員、社会教育委員などにも行き配布しました。また市内では、商工会、区画整理事務所、観光協会、同志社大学京田辺キャンパス総務課と、松本及び真山、郡嶌ゼミ、野本理事長など三山木の地権者、商店主などにも手渡す予定にしています。


「街ぐるみ生活公園都市」の会メンバーの皆さんへ

現在のメンバー・・・区画整理対策会議の世話役・二又商店街・郷土史家・
市会議員・地権者・主婦・大学教授・福祉協会員・日本民家リサイクル協会員・
音楽教師・考古地理学者・植木職人・資料館関係者・社会福祉関係者・
同志社大学生・博物館職員 他
 新しく会に出席頂く方には、事前に今までの経過を事前にメール等で煮詰めておいて御参加
下さい。毎回同じ説明に時間を取られてしまいます宜しくお願い致します。
メールのグループ
メールでそれぞれの提案なり、意見なりをどんどん述べて頂ければ事前に内容が判りスムーズ
に話が進むと思われます。
 次回から、事前にメールや電話FAXで内容やアイデアそれに思いをお送りしてください。
資料があるなら事前に皆さんにFAXでお送り下さい。

このホームページを御覧になった方へ
  ・左側の「掲示板」に色々な要望事項やご意見を自由に書いて下さい。
このホームページを御覧になった方からのメッセージです。
・地域を良く知る地元の新聞記者は、この「市民による街づくり」が実現すれば全国各地で行われている「土地区画整理事業」のモデルになる、と話された。
京田辺のスローガンでもある「屋根のある田園都市」構想にのっとり、緑と歩ける道を取り入れた街つくりをしましょう。 立地条件からこの地区の歴史を基本に街つくりを考えるのは必然的でありましょう。 かぐや姫の里つくりの中に、そこに生活する住民に潤いを与える21世紀型都市が実現するでしょう。

その他の調査などでお世話になった方々・・・
三山木地区区画整理室 地元の新聞記者 同志社大学の真山ゼミの「三山木まちづくりデザイン」 三山木地区区画整理室の市職員  二又商店街の地権者  多治見駅土地区画整理事業の関係者を現地訪問  大分市の区画整理事業の現場を視察 
学術研究都市推進機構と(株)京阪奈  同志社大学の真山ゼミの「三山木まちづくりデザイン
」 郷土資料館の元学芸員
彦根商店街の再生メンバー
 彦根市の祭りやイベントを開催した学生と町の人  INAXギャラリー・月の建築展 政府広報
やましろ里山の会 生駒市の高山竹林公園  枚方市の星の里公園  近隣の文化施設・音楽ホール・緑の空間施設の調査
 京田辺市郷土史会『筒城』   
各地で街づくりに取り組んでいるホームページ・・・
    「多治見駅北土地区画整理事業」「JR栗東駅前開発事業」「南草津駅周辺の街づくり推進」
    「大分市の区画整理事業」「アーバンデザイナーの”まちづくり”」ほか
「街ぐるみ生活公園都市の会」ホームページ。http://take-tanabe.hp.infoseek.co.jp/kukaku-top.htm (2002.10.01から)

2002年7月8日京都新聞の朝刊「山城版」に「JR木津駅西側の街づくり基本計画策定」記事が出ていました。
京田辺市郷土史会の『竹取物語』かぐや姫の里“京田辺”の取り組み


『竹取物語』研究所竹取の翁・かぐや姫

  ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。
  『竹取物語』研究所 代表:小泉芳孝
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