「商業地域ゾーン」二又

このページは、「街ぐるみ生活公園都市のメンバーの動きや提案のページです。
三山木のまちづくりへの各種提案、構想、歴史的背景など。


「三山木まちづくりへの提言」調査報告

商業地域ゾーン・・・中川博 (地権者 ・三山木地区特定土地区画整理審議会委員)、中川勝(二又商店街、商店主) 

駅前商業ゾーンの将来像をイメージ・・・中川博

  1.ラウンドスケープをどのように描くか。
      ・美しい街  ・美を追求する事。
  2.安心感を与える町であること。(街の質の向上・・・・・)
      心に癒される事。 安心して生活ができる事。
      危険や災害が無い町・歩いていて安心である事。
      緑に囲まれている街(樹木や花いっぱいある)
  3.街の景観の制定
      ・デザイン委員会の設置(街の質を維持向上させる)・カラー・広告・ネオン
       優先的な補助事業・商工会組織の活用
  4.種々。いろいろな家造り。
      ○○の家。人形の家。おもちゃの家。お茶の家。竹細工の家。麺類の家。花の家。
      有機食品の家。伝統工芸の家など。(町の人達と一緒に幸せ.癒しを感じられる事)
  5.ショッピングセンターは一ケ所。 
  6.裏道の設置 歩いて安心
  7.駐車場には、必ず木を植える。
  8.「祭り」 街人々の心を豊かにする。人々が心を一つにし街が活性化する。

現在の区画整理事業に伴なう商店街の現状・・・二又商店街
  1.新商店街作りの費用、経費などについては、短期回収でないと賛成できない
    人が多い。
  2.新商店街作りに資本投資して将来に期待する人少ない。
  3.新商店街の町並みは、同志社のレンガ色で統一できないかとの声あり。          
「二又の商店街」の沿革・・・中川勝

  昭和6年以前・・準農村で産業は、竹細工(竹ぼうき・さらいこ・カゴ)を製作 
  昭和6年・・奈良電が開通し南電気・牧村(酒屋)・村井(呉服屋)など11店が出来る
        その他、芝居小屋、カフェー、ビリヤード、料理屋なども
        戦時下となり「物価統制令」が出て配給制となる。
  昭和30年後半・・「二又商栄会」出来る。魚屋・お菓子屋などできる。
  昭和40年頃・・二又地区が60世帯となる。理髪店、アコチャンできる。
  平成2年3月末・・26店舗となる。
  平成2年・・・三山木商店街まつり実行委員会による「二又商栄祭」を16店舗で開催。
            (平成2年〜平成6.7年まで開催。)アドバルーンなどを上げ大盛況。
          中小企業相談センターできる。
  平成14年・・区画整理事業に伴ない仮設店舗に移動したり後継者や家庭の都合で8店舗となる。


学生と町の人達が共同で街づくりを担う。商店街の活性化。
彦根市の商店街などの取り組みを参考。
「二又の商店街」についての現状調査。今後の商店街についてのアイデア作り。

    「二又の商店街」の沿革

昭和6年以前・・準農村で産業は、竹細工(竹ぼうき・さらいこ・カゴ)を製作 
昭和6年・・奈良電が開通し南電気・牧村(酒屋)・村井(呉服屋)など11店が出来る
      その他、芝居小屋、カフェー、ビリヤード、料理屋なども
      戦時下となり「物価統制令」が出て配給制となる。
昭和30年後半・・「二又商栄会」出来る。魚屋・お菓子屋などできる。
昭和40年頃・・二又地区が60世帯となる。理髪店、アコチャンできる。
平成2年3月末・・26店舗となる。
平成2年・・・三山木商店街まつり実行委員会による「二又商栄祭」を16店舗で開催。
          (平成2年〜平成6.7年まで開催。)アドバルーンなどを上げ大盛況。
        中小企業相談センターできる。

三山木商店街まつり実行委員会による「二又商栄祭」


   「舞妓の茶本舗」宇治茶販売店

   「京一屋」洋服屋店

   「まきむら」スーパー

   「古川菓子店」

 

平成14年・・区画整理事業に伴ない仮説店舗に移動したり後継者や家庭の都合で8店舗となる。


現在の区画整理事業に伴なう商店街の現状
1.新商店街作りの費用、経費などについては、短期回収でないと賛成できない人が多い。
2.新商店街作りに資本投資して将来に期待する人少ない。
3.新商店街の町並みは、同志社のレンガ色で統一できないかとの声あり。